神道と道教の関係、日本文化に対する影響をごく簡単に

アラビア語論・言語論
飯綱権現を祀る高尾山薬王院の権現堂

神道と仏教

神道と仏教との関係は、神仏習合思想に見ることができる。本地垂迹説はそのひとつ。それによれば「神道の八百万の神々は、実は様々な菩薩天部なども含む)の化身」。そしてそれらの化身が「日本の地に現れた権現(ごんげん)」。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9
そこでは、神道の主神、天照大神も大日如来という仏の化身となる。

神道と儒教

儒教の教えの核は、徳性の拡充による人間関係の維持にあります。仏教より早く西暦513年に日本に伝えられ、様々な理論に展開されています。たとえば、「忠」「孝」の徳が天皇制や親子関係を強化し、神道を補うといったことがしばしば起きています。
「処世の心得」は儒教に学び、「一身の禍福」は神に祈り、「死後の救済」は仏に願うという、三教を役割を分けてどれも信奉するというのが、近世民衆の庶民の一般的な宗教思想であったようです。
(http://nippon-seishinbunka-kenkyujo.blog.jp/archives/6445129.html)

道教と神道

それらに比べると、道教の影響は、かなり限定的。しかしながら、なお強い影響があったということができる。その象徴が、陰陽師と呼ばれる人々の活躍。陰陽師は、もとは官職の名称で、当初より道教の陰陽道を引き写す形で、公的な助言を行っていた。平安時代の中・後期(11・12世紀)には、朝廷の政治を左右するほどの影響力を有していた。

安倍晴明という人

中でも安倍晴明(921年- 1005年)は、特異な才能とその活躍から、陰陽師の代名詞的存在である。
歴史学者の村上瑞祥氏によれば、実際の安倍晴明は遅咲きの努力家。活躍は60代以降の20年余り。最終的には、82歳の時に「従四位下(陰陽寮長官は従五位下)に到達した」とのこと。85歳に亡くなるまで研究を続けたとされる。
彼は中国の陰陽道を鵜呑みにはしなかった。日本と中国の違いを踏まえて日本独自の陰陽道を確立した。占いのイノベーションを行なったとも評される。https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00533/

サブカルチャーに生きる安倍晴明

彼は、現在なお小説やアニメの題材として取り上げられる。日本のサブカルチャーにまでその影響が及ぶ。陰陽師、安倍晴明は、世界中の日本文化関心層の拡大に貢献しているのだ。
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