妖怪とは何か
妖怪(ようかい)は、日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと。妖(あやかし)または物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれる。
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八百万の神と妖怪
妖怪は日本古来のアニミズムや八百万の神の思想と人間の日常生活や自然界の摂理にも深く根ざしており[1]、その思想が森羅万象に神の存在を見出す一方で、否定的に把握された存在や現象は妖怪になりうるという表裏一体の関係がなされてきた[2]。
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八百万の神は、人の願いや怖れのある所に存在し得た。「神」とまではならなくても人々が奇異に感じる存在や現象が生じ、共有されれば、それが「妖怪」となった。神と妖怪の境界は実は曖昧で、妖怪もまたしばしば神社に祀られる存在になっている。
妖怪、あれこれ
古代には書物の中に示されるに過ぎなかった妖怪。それが中世期には、絵巻物や御伽草子といった絵物語の中に具体的なイメージが示されるようになる。さらに江戸時代になると、浮世絵の画題となり、草双紙や読本などの創作作品の題材としても盛んに用いられるようになる。
『画図百鬼夜行』
今に生きる妖怪
民間伝承の中の妖怪
柳田國男の『妖怪談義』は、日本民俗学における妖怪研究の出発点に位置付けられる。
われわれの畏怖というものの、もっとも原始的な形はどんなものだったろうか。何がいかなる経路を通って、複雑なる人間の誤りや戯れと、結合することになったのでしょうか。(隣の大国から久しきにわたって借りてきたさまざまな文化だけでは)日本の天狗や河童、または幽霊などというものの本質は解説することはできぬように思います。(柳田国男『新訂妖怪談義』(小松和彦₌校注)角川文庫。12頁)
畏怖のもっとも原始的な形を、妖怪研究に訪ねる。つまり、それは民衆の意識下にある日本人の信仰の根を訪ねることでもある。柳田は、「国が自らを知る能力を備える日」を気永く待つほかないとする。「国」というよりむしろ「一人ひとりの日本人」がとした方がしっくりくる。
創作妖怪
江戸時代からの流れをくむ創作妖怪。
「ゲゲゲの鬼太郎」
水木しげるが自身の戦地での経験と土着の妖怪を重ねて妖怪の視点から人間や社会を描く。漫画原作をもとにした作品群。水木の故郷、鳥取県境港市には、妖怪神社、博物館も建てられていて、観光スポットとして多くの人々が訪れる。
娯楽作品の中の妖怪
「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」
アニメと言えば、ジブリ作品にも多くの妖怪が登場する。妖怪以外も含め、そこに登場するさまざまなキャラクターとその関係性には、日本人の民間信仰の一つの在り方が示されている。
神道の新たな展開
神道をグラデーションの教えだとしてみよう。つまり人々の怖れも、願いも、すべてをグラデーションに包み込んで、人々の気持ちを和ませる。それが神道であるならば、エンターテイメントとしての創作妖怪もその対象になりうる。そうであるのなら、妖怪は今なお、無限の広がりを見せる八百万の神とともに神道の展開に一役買っているということができる。
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