聖典クルアーンから読む

聖典クルアーンから読む

ライラトゥルカドル(カドルの夜)はラマダーン月の第何夜?

「カドル」には、決定、定め、みいつ(御稜威、御厳)などの訳語が当てられている。この語にはまた「見積」や「見定め」といった訳語の可能性が残されている。さらに、その夜、天使たちに託される、向こう1年間のの万事に対する動かしがたい神の定めが齎される。
アラビア語論・言語論

やり直しを認めてくれる希望の聖句(『聖典クルアーン』マルヤム章59-60)

《それなのにかれらの後継者が礼拝を怠り、私欲に耽ったので、やがて破滅に当面することになるであろう。だが悔悟して信仰し、善行に勤しむ者は別である。これらの者は楽園に入り、少しも不当な扱いを受けることはないであろう》(マルヤム章59-60節、1...
アラビア語論・言語論

怒りを鎮める心の体操としての礼拝

怒った人を落ち着かせるには 怒りがどうにも収まらないという悩みに苛まれてはいないだろうか。横暴な経営者に役立たずのレッテルを貼られ忖度と同調圧力も手伝って退職を余儀なくされ、やり場のない怒りが自分の中で拡大し続ける情念の渦巻として暴れまわ...
徴(しるし)を読む

笑いと祈りの意外な関係:「生きてるだけでまるもうけ」(明石家さんま)と聖典クルアーン「潤沢章」

「潤沢(カウサル الكوثر)」)は、元気のもと 究極的で絶対的な慈悲慈愛の存在たるアッラーが与えて下さっている潤沢が「カウサル」の解釈の一つである。つまり神の究極的で圧倒的な豊かさ。人生の達人は、常に、この豊かさに対して敏感で、ハイル...
アラビア語論・言語論

呪いの言葉が聖典にあっても大丈夫な理由:『聖典クルアーン』「中傷者章」をめぐって

が聖典にあっても大丈夫な理由:『聖典クルアーン』「中傷者章」をめぐって。「不定そのもの」がまさに不定に漂う中に縛られているような世界で呪いの言葉などかけられたのではたまらない。それに対してこちらは、確固とした存在(たとえそれがとらえられないような茫漠としたものであったとしても)に、テクストという形で「不定的なるもの」を極力許さない形で管理された世界での「ワイルン」。 つまり、究極にして唯一の主、慈悲深く慈愛あまねくアッラーからの注意喚起。まさにこれに優る注意喚起はない。
アラビア語論・言語論

視界は澄み切っているか?:「空気」を超えていけ!

  ★ 『旧約聖書』「伝道の書」は言う。「空の空、すべては空」と。 何をやっても空しいのだ。   地上の多くの知恵と知識を得て、心を尽くして知恵を知り、 狂気と愚痴を知ろうとした。 しかしそれも風を捕えるようなものと悟...
アラビア語論・言語論

「その人々は滅ぼされてしまえ」という言葉は使用禁止(正伝ムスリム)のロジック

誰かに向かって、 「滅ぼされてしまえ」なんて言ってはいけない。 地獄行きを宣告するようなこと誰だって言われたくない。 それだけに、聖典クルアーンの「中傷者章」の最初の言葉、「ワイルン ويل (災いあれ)」に対して、「棕櫚章」...
徴(しるし)を読む

“人の語るすべてを心にとめてはならない”(旧約聖書「伝道の書」7:21)

伝道の書は、言う。「空の空、すべては空」と。 「空気」に振り回され、「空気が読めない」と批判を繰り返す社会。 とはいえ、「空気」は、人が作り出したものに過ぎない。 互いに妬みあい、憎しみあうドロドロした気持ちが、「空気」を生み出し...
生き方を考える

いまさらだけれど、ラマダーンが人間であることの証明である件について

ラマダーン月の斎戒  目下、世界17.5億人のイスラーム教徒たちが臨んでいるラマダーン月の斎戒。様々な解説がなされるけれど、現象面からのアプローチが多く、しかも、一見とても奇異な文化的慣行ではあるのだけれど、様々な効用があるという指摘...
アラビア語論・言語論

「読め」から始まった『聖典クルアーン』。読むべきは?

それは「読め」から始まった 至高なる御方は言う。《創造を行なったあなたの主の名前で読みなさい。》(凝血章1) いちばん最初の啓示とされる聖句である。クルアーンの中でムハンマドに対する最初の命令は、「読め」だった。「読むこ...
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