アラブの春から10年。。民主化への隷属という軛から脱却せよ。(とりあえず試論の草稿)

「 いまだに民主化が進まない」「民主化とは逆行する動きがむしろ強まっている」。

アラブの春から10年。アラブ諸国の民主化への道のりは遠いという論調が目立つ。

 

一方でコロナ禍。独裁主義なのか民主主義なのか。いや正確には、より独裁主義的な政治体制と、より民主主義的な政治体制のあいだで、揺れ動く。

それが実情であるにもかかわらず、アラブの民主化が進まないというお決まりでお仕着せの論調には、論者たちの知的怠慢と傲慢が見え隠れするように思うのは私だけだろうか。

求められているのは、民主化ではない。「民」か「国家」ではない別の地平。「個」と「地球」、あるいは、「自分」と「宇宙」といった広がりの中での「社会的なつながり」の地平の創出のはず。

 「個」と「創造主」というイスラームが本来的に持っている広がりには、国家はもちろん、地球も、宇宙も、あの世も、すべてがその中に含まれる。

その点において、イスラームが方法論として使える。

イスラームが民主的でありうる根拠を聖典クルアーンの中に探すのはたやすい。イスラームが人権思想を先取りしていたと指摘することも決して難しいことではない。

しかし、行なわれるべきは、あたかも後出しじゃんけんかのようにイスラームにすべてがあると形でイスラームの自画自賛を助けることではない。

グローバル大で通用する、「個」と「世界」の新たなつながりようを提示すること。社会契約論的地平を一気に塗り替える、ーー「契約」という個人の自由意志にすべての責任を負わせる19世紀的社会理論の乗り越えも含めてーー個と存在そのものとのつながりのありようをひとり一人の暮らしに実装する時が来ている。

それができるのが、あるいは、それをやらなければならないのが、現代のイスラーム研究であろうと個人的には強く思う。

 

 

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