「神の全能性とは何か」についての断章

神の全能性とは、神がやりたいようにやりたいことをするということであるが、しかし同時にそれは「真理」によって行われているということも忘れてはいけない。神が従わざるを得ない、反証できない定理があるから、神は全能ではないとは言えない。
定理の発見は、全知全能の絶対的で一なる創造主の創造の「真理」に近づいたということにすぎない。たとえば、ラムゼーの定理も、創造主がやりたいようにやるときの「真理」の一側面をとらえたものとみるべきである。
したがって、発見があったからと言って、あるいは、そうした定理の存在によって神の全能性が揺らぐものではない。
むしろ揺らぎがあるのは。人間の定理のほう。定理が発見されるまでに時間がかかっているし、不確定性原理などというものも、ほんの数十年前までは考え着きもしなかったのだから。
要は全知全能の絶対的で一なる創造主の存在が想定されているからこそ、その創造の結果を検知可能な範囲で定性的あるいは定量的に記述しようという科学という営みも意味を成すというもの。むしろ創造主の全能性の真理があってこその、定理であり、法則であり、科学という営みなのである。
光もまた全能の神の創造物であること。したがって、その神は、光以上の存在であること。光の速さを優に超える存在の真理は、光の速さの内側からいくら眺めても、所詮は、部分的な把握にとどまることも知るべきである。
創造主の全能性、人間の不完全性。

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