あえて語らぬ/あえて語りぬ

アラビア語論・言語論
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1 沈黙

コロナ禍にもかかわらず、現地に滞在しながら日本語教育を続ける友人から、夏目漱石『夢十夜』の第7夜のアラビヤ語訳を送っていただいた。なんでも、この作品に関心を持った受講生たちとともに作成したという思いのつまった翻訳だ。

この第7夜は、西洋に向かう客船から、投身自殺を図る「自分」が入水前の船上の状況から入水の最後の瞬間の心情までが描写されていて、いろいろなことを考えさせてくれる小品である。中でも個人的には、甲板の上に出てひとり星を眺めている「自分」のところにやってきて「天文学を知っているか」と尋ねた異人とのやり取りが気になる。

「自分」は、「つまらないから死のうとさえ思っている。天文学など知る必要がない。黙っていた」のであるが、異人は、金牛宮の頂にある七星(北斗七星)の話をし、「そうして星も海もみんな神の作ったものだと云った」のであり、最後に自分に神を信仰するかと尋ねた。」「自分」は、空を見て黙っていた」という。

清朝からの引き上げ宣教師が多数乗船していた時代である。しつこい宣教師に絡まれたのだし、宗教など信じるに値しないものでもあるのだから、無視するような態度は当然であるという解釈[1]もあれば、耳を傾けていれば、無限の後悔と恐怖を抱いて黒い波の方へ静かに落ちていかずに済んだのではないかいう指摘[2]もある。

確かなことは、「つまらないから死のうとさえ思っている」ことに、注意を払おうとしない異人の姿勢であり、その言葉が自死を思いとどまらせるような働きとは無縁であったということである。

ここで、アラビヤ語の訳を見てみよう。「神」の訳である。「神の作ったもの」の部分も、「神を信仰」の部分も、神は「アッラー」と訳されている。ここに登場する異人は、おそらく、イスラーム教徒ではない。もしもイスラーム教徒であったのならば、「アッラーを信じるか」という問いになっていたかもしれない。

しかし、「海も星もすべて神が作った」「神を信じるのか」というときの「神」とはいったい何なのか、もとより会話として成立していないのではないかと思う。

神を信じるかと聞いてくるものがいるかと思えば、若い女の引くピアノに合わせて二人きりの世界で唱歌を唄う背の高い立派な男の変に大きな口(こういう時の口は確かにえげつなく大きく見える)。世の中に何かを見つけようとしている「自分」がますますつまらなくなるには十分な状況である。しかし、それが、いやそれも含めたもろもろが「とうとう死ぬことに決心」するに十分だったとは思わない。そのことは、本人がいちばん知っていることとだ。甲板から自分の足が離れて船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜しくなっているからだ。

そこで初めて悟る。「何処へ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかった」と。「しかもその悟りを利用することが出来ずに、無限の後悔と恐怖を抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った」のである。

2 何かを遂げないと死ねない!?

第7夜の夢はここで終わる。つまらないことぐらいで、行く先のわからない船に乗っていることぐらいで死ぬと後悔すると教えてくれているのであろうか。つまらないこと、目的のわからないことばかりの現実の中、断とうとすればそれはそれでまた無限の後悔と恐怖に苛まれる。夢の中の話なので、目覚めれば、現実を生きることになる。なんとも後味の悪い夢である。

無限の後悔と恐怖とは、具体的に何を指しているのであろうか。キリスト教徒やイスラーム教徒であれば、神の意志に背いて自らの命を絶ってしまったことに対する後悔と、彼を待ち受ける地獄に対する恐怖ということになろうが、漱石は、「無限の後悔と恐怖」とだけ云う。

その自分が静かに落ちて行ったのが「黒い波の方」だが、地獄より奈落と重ね合わせることのできる表現であろうか。こうした状態で船から飛び降りれば、死ぬことは間違いなく、「自分」は少なくとも夢の中で死んだと解するのが妥当であるかに思えるのだが、少なくとも漱石は「死んだ」とは一言も云っていない。もとより、夢の話である。

ところで、日本語の「死ぬ」という言葉は、元来、「生命が無くなる、息が絶える」という意味の言葉ではない。井筒俊彦が金田一京助の研究[3]から紹介するところによれば、古代の日本語では、「命が無くなる/息が絶える」という事態に対してそのことを直接指す言葉を伏せて、「し-ぬ-る」(つまり、完全に何かをやり終える)という言葉を使って表していたと言う[4]

生命が無くなる、命が絶えるという忌むべき状況に対しては言葉を伏せるのが、古代の日本語の世界である。

「死」に限らず忌々しきことはあえて言語化しない。言語化すれば、それがやがて必ず降りかかってくるからだ。井筒は『言語と呪術』の中で『万葉集』から引用する[5]

「朝霧の乱るる心言に出でて言わば忌々しみ」

悲しいとき、ひとはその悲しみを心に忍ばねばならない。さもなくば、何か恐ろしいことが必ず起きる。

3 天つ神も占い頼み

言語化しなかった例として思い出されるのが、「神」である。和辻哲郎の「天つ神」という言葉についての指摘である。「イザナギ・イザナミの2神が、最初の国土創造に失敗したとき、天つ神の所へ帰ってそれを報告し、再び天つ神の命を請うた」[6]。そのときの天つ神たちによる命令の仕方が驚きだと和辻は言う。「「布斗麻邇爾卜相而」指令を与えたのだ。つまり、占卜によってやり方を見直せという指令である。

和辻は言う。「占卜によって知られるのは不定の神の意志であるが、天つ神にとっての不定の神とは何であるか。天つ神の背後にはもう神々はない。しかもこれらの神々がなお占卜を用いるとすれば、この神々の背後になお何かがなくてはならぬ。それは神ではなくしていわば不定そのものである。」古(いにしえ)の意(こころ)ばえは究極者を何々の神として固定することはしない。

「すなわち最後の天つ神たちさえも不定者の現われる通路であって究極者ではない。究極者を神として把捉しようとする意図はここにはないのである。」(『古事記伝』4,225頁)

さらに和辻は宣長を引用する。「今此天津の卜へ賜ふは、何神の御教を受賜ふぞと、疑ふ人も有なめど、其は漢籍意(からぶみごころ)にて、古(いにしへ)の意(こころ)ばへに違へり」。

天つ神のその先に広がる「不定そのもの」の世界。そしてその「不定そのもの」には名前を付けない。決して「〇〇神」などと呼ばない。そもそも「神」でさえないのだから。そのままにしてある、そして、不定そのものであるため、そこには、言葉でとらえられるものは何もない。しかし、古の神々でさえ占いで尋ねようとする何かが確かに存在するのである。

一神教の完成形態たるイスラームとの対比で言えば、この「不定そのもの」にあえて定冠詞付きで「神」の名を与えたのがイスラームということになる。これに対してあくまでも「不定そのもの」であり「無名」のままに留めおいた日本神話の世界。そしてそのことは現在に至るまで引き継がれている。日本の宗教は、多神教と信じられているが、しかし、「不定そのもの」の一神教という見方も可能なのである。

4 死ぬから空しい、死んでも空しい

「神を信じるか」と一神教の信者が問うときには、「不定そのもの」としての「神」への信仰の有無を問うているのだが、「神」を信じるかと日本語の世界で問われたときには、「不定そのもの」の手前に位置する神、あるいは、不定そのものからは切り離された形で存在するキリスト教の神やイスラームの神が想起されてしまう。

「不定そのもの」は、「不定そのもの」なのであるから、完全に伏せられており、「神」という言葉から、「不定そのもの」は想起できないのである。「神を信じるか」という問いは、残念ながら、「不定そのもの」にまでは届かない。

神が作ったと言われると、神でさえ占卜によってつくったことを知っている者からすれば、なんとも胡散臭い話だ。

第7夜の「自分」と異人のかみ合わない会話。実は何も伝わっていない。したがって、そこに「つまらなさ」を埋めてくれるような何かがあるはずもない。繰り返しになるが、「神」という言葉のせいで「不定そのもの」はどこかに失せてしまっている。異人はと言えば、星も海も自らが支配したかのような意気軒高。そして蘊蓄の嵐。そもそも行先はわからないし、何のために乗っているのかもわからない船。黙るしかない。何かをやり遂げようなどという気分ではない。

神も伏せるし、死も伏せる。夢だから覚めるけれど、果たして夢でなくても、日本語の世界で人は死ねるのであろうか。何かを完全にやり切らなければ死ぬことはできないと呪われているような、日本語の「死」。あの世がなくても、日本語の世界では、死後も死ねないのだ。

死んでしまえば、すべては無に帰し、忘れ去られてしまうのだから空しいとコヘレトは言った(『旧約』「伝道の書」)が、『夢十夜』の「自分」の空しさは、死んでみても同じではないかと思えるような空しさ、あるいは、たとえ死んでも死に切ることさえできないと思えるような空しさ。そんな空しさを黒い波を目前にした「自分」に感じることはできないであろうか。

それは、飛び込んだことに対する後悔というより、何もやり遂げることがなかったことに対する後悔か。人の世が「とかく住みにくい」のは、幾重にも呪詛に縛られているからか。この世もあの世も混然一体とした無境界の世界。

「自分」が抱いたのは、生きているのか死んでいるのかわからない状態に対する捉えどころのない恐怖と、飛び込んだところで死に切れていない自分では何も変わらないのにという後悔だったのかもしれない。

[1] https://ameblo.jp/kimi-nakamura-ken1102/entry-11215250719.html

[2] https://blog.goo.ne.jp/kamisanbi/e/80a6369a24f5e7f9aa470f9fbd8967d0

[3] 金田一京助「規範文法から歴史文法へ」『日本語の変遷』講談社学術文庫90、1976年。104頁以下。「例えば、『死』は人の恐れ忌むことなので『逝く』『みまかる』『無くなる』のような語を生じたが、『死ぬ』という形そのものさえも、実は換喩で本当にもとの語は何であったかわからない。(中略)その『死ぬ』の『死』は、実は『為」(し)であって、「死ぬ」の「ぬ」は『逝ぬ』(いぬ)である。すなわち『死ぬ』は『為逝ぬ』(しいぬ)というだけで、その意味は、直接に『死去』ということを言うのを略して、『してしまいました』で、『死去してしまいました』を聞かせたのが起こりであるらしい。」

[4] 井筒俊彦『言語と呪術』安藤礼二監訳、小野純一訳、慶應義塾大学出版会、2018年9月。41頁以下。

[5] 井筒俊彦『言語と呪術』安藤礼二監訳、小野純一訳、慶應義塾大学出版会、2018年9月。44頁以下。

[6] 『和辻哲郎全集』第12巻62頁。以下、和辻からの引用は同箇所。

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