「やっぱり」と「しっかり」の応酬が不安感と空虚感を加速する

アラビア語論・言語論
やっぱり!

 ■無意識に使われる二つの言葉

日常会話でほとんど無意識に使われることが多い「やっぱり」。そして、とりわけ頑張ろうとする人たちが、これも無意識に話に挟み込んでくる「しっかり」。この二つの言葉で埋め尽くされた言語空間こそが、不安と虚しさを生み出す元凶になりうるのではないか。ごく最近の首相らの言葉も引用しながら考えてみた。

 

■「やっぱり」は押しつけがましい !?

コロナ禍について、日々多くのコメントが発せられる報道報道番組やワイドショー。どうしても気になる言葉づかい、それが「やっぱり」である。「やっぱり」とか「やはり」という言葉が頻発する。

「やはり」 には、4つの意味があるとされている。

デジタル大辞泉(小学館)では、

[副]

以前と、また他と比べて違いがないさま。やっぱり。「あなたは今も矢張りあの店へ行きますか」「父も矢張り教師をしていた」

予測したとおりになるさま。案の定。やっぱり。「彼は矢張り来なかった」

さまざまに考えてみても、結局は同じ結果になるさま。つまるところ。やっぱり。「随分迷ったが、矢張り行くのはやめにした」「利口なようでも矢張り子供は子供だ」

動かずにいるさま。

「老いたと言ひて、―あたたかにしてゐて」〈史記抄・匈奴伝〉

 

「2 予測したとおりになるさま」、には予測が前提になるが、「やはり」や「やっぱり」が便利なのは、どのような予測なのかを示さずに使えるところだ。

また「3 さまざまに考えてみても、結局は同じ結果になるさま」にも、「さまざまに考えた」はずなのではあるけれど、「やはり」や「やっぱり」と言ってしまえば、何をどのように考えたのかについては示す必要がなくなる。

根拠や論拠を具体的に示すことなく、結論ないしは主張のみをあたかもそれが当然であるかのように述べられるのである。

「1 以前とか他と比べて同じ」というのも、以前とはいつからなのかとか、他とは具体的に誰のことを指すのかなどを省くことができる。

「やはり」や「やっぱり」を連発するコメンテーターの話は、押し付けがましくさえある。その切り口から発言を聞いてみてほしい。

そしてそれは他人事ではない。使わないように気を付けていても「やはり」や「やっぱり」に頼って話をしている自分にハッとすることも少なくない。

 

■「しっかり」は捉えどころがない

一方、「しっかり」 も、『デジタル大辞泉』によれば、

物事の基礎や構成が堅固で安定しているさま。

㋐かたく強いさま。「ロープを―(と)結ぶ」

㋑確かでゆるがないさま。「土台の―(と)した建物」

考えや人柄などが堅実で信用できるさま。「―(と)した意見の持ち主」「論旨の―(と)した論文」

気持ちを引き締めて確実にするさま。「―(と)勉強する」「上級生らしく―しなさい」

身心が健全であるさま。また、意識がはっきりしているさま。「―(と)した足どり」「高齢でも頭は―している」

十分であるさま。たくさん。皮肉をこめていうこともある。「今のうちに―(と)食べておく」「金を―ためこんでいる」

相場が上昇傾向にあるさま。

 と定義されるが、政策に関する発言において使われうるのは、

「1 物事の基礎や構成が堅固で安定しているさま。」

「2 考えや人柄などが堅実で信用できるさま。」

「3 気持ちを引き締めて確実にするさま」

「5 十分であるさま。たくさん。皮肉をこめていうこともある」。

あたりとなる。政策や方策の基礎がしっかりと安定している、あるいは、しっかりとしていて信用できる、しっかりと気持ちを引き締めて実行していく、政策や方策が十分なほどしっかりしているといった意味で「しっかり」が用いられるはずである。

 

■新型コロナウイルス感染症に対する総理会見の中の「しっかり」

たとえば、「新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見」(令和3年1月13日)の中の総理の発言の中の「しっかり」は次の通り。

「今回の対策全体が効果を挙げるには、国と都道府県がしっかり連携し、国民の皆さんの御協力を頂くことが極めて重要なことです」

「医療体制の確保にも全力を挙げています。東京都では、コロナ病床の確保のために国と一つのチームになって、国がしっかり財政支援を用意した上で、一つ一つの病院に直接働きかけを行い、今年になって500床の病床を確保しました」。

「そうしたことを国民の皆さんに強く訴えると同時に、引き続き、この飲食店の時間短縮を始めとする今回の4つの対策、こうしたものをしっかり実施して、国民の皆さんにも御協力を頂く中で、感染を減少させていきたい」。

「このコロナ感染者への医療について、政府として、そこに対応してもらっているその医療機関に対して、しっかり御支援をさせていただいたり・・・」

(いずれも太字は著者による)

  しっかりの対象は、都道府県との連携であり、東京都に対する国の財政支援であり、時短営業など4つの対策の実施であり、医療機関に対する支援である。

仮に、上の「しっかり」を、安定・信用・気持ち・十分に分けたとするならば、コロナ対策に関しては、安定や信用、さらには十分のしっかりが努力目標にしかならない現状がある。ということは、これらの「しっかり」は「気持ちを確かに引き締めて行う」という改めて言われる必要もないことの表明にしかなっていない。

 

■「政府としてもしっかり対応」東京オリパラ成功に向けて

東京オリンピックパラリンピックの開催についての加藤官房長官の発言にも「しっかり」がある。https://jp.reuters.com/article/tokusohou-idJPKBN29N05C

ロイターが18日に伝えたところによれば、 加藤官房長官は18日午前の会見で、東京オリンピック・パラリンピックの開催については、「大会の成功に向けて「政府としてもしっかり対応していきたい」と述べた」と言う。ちなみに見出しにも「しっかり」が入っている。「東京オリ・パラ、成功に向けしっかり対応=加藤官房長官」

この「しっかり」が、「政府としても」気持ちを確かに引き締めてしっかりとということであったのなら、政府の気持ちの引き締め方とは何なのかがにわかにはわからないため、分かったようでわからない表明になってしまっている。

西村経済再生担当大臣には、17日のNHK「日曜討論」の記事に「しっかり」があった。

「午後8時までの営業時間短縮を飲食店にお願いし、その分、しっかりと支援していく。そのうえで、人の流れと、人と人との接触も減らさなくてはならず、不要不急の外出自粛と、出勤者の7割削減をお願いしている」

 この「しっかり」は、十分にの「しっかり」であってほしいが、具体的な方法についての言及に欠けるため、これもまた、精神論の「しっかり」でもあるかもしれない。

 

■もちろん、そういうつもりではないのだろうけれど。。

「やっぱり」同様「しっかり」も実に便利な言葉である。なぜならば、気持ちの上での「しっかり感」の意味を含み持つため、安定性、信用性、充実性に欠けていたとしても、「しっかりやります」という気持ちでそれらを覆うことができてしまうからである。

安定性なり信用性、あるいは充実性を示すためには、どのようにしっかりそれらを達成するのか、あるいは達成されたことを検証するのかまで含めて「しっかり」としていなければならない。つまり、本当に「しっかり」やっているのならば、「しっかり」という言葉を使う必要がなくなるのだ。

 

■「しっかりしろ」と言わせてくれるな

「やっぱり」と「しっかり」どちらも実態を覆い隠す作用のある言葉だ。

「やっぱり」では、その前提となる、事実なり、状況なり、思いなり、文脈なりが語られることなく、「やっぱりそうだよね」というおそらくは話者の一方的な思い込みによるかもしれない得体のしれない了解の下、主張だけが行なわれる。おそらくそれが、「やっぱり」を頻発する主張に押しつけがましさを感じる所以であろう。

「しっかり」では、何をどう具体的に「しっかり」行って、しっかりとした基礎と安定性を持つ方法を構築し、いかに「しっかり」とした成果に結びつけるのかを示すことなく、「しっかりやっているのだから」と聞き手に有無を言わせない、いや、言う気にさせない。

つまり、「やっぱり」と言わせないように「しっかり」してほしいということになるが、こうして「やっぱり」と「しっかり」の応酬がメディアを占拠している間にも、コロナの感染は広がり、医療体制は、逼迫から崩壊へ一直線である。もはや何が「やっぱり」なのか、いかに「しっかり」なのかを示さない議論に付き合っているほど余裕も関心もない。

若者にメッセージが届かないと嘆く前に、「やっぱり」と「しっかり」を一回でも使うのを減らして、具体的な話をすること、つまり、自らの言葉づかいを精査し、「やっぱり」と言わずに根拠を、そして「しっかり」と言わずに具体的な方策を示していただければと思う。

 

■自助・共助・公助の前に

そしてそのことは、メディアを通じて伝えられる発言だけの問題ではない。

「やっぱり」と「しっかり」が日常的に使われているとするならば、そのコミュニケーションは、かみ合っているようでかみ合わない。お互いに確かに了解が取れているうえでの「やっぱり」や「しっかり」であれば問題はないが、投げかける相手が多くなればなるほどそのあたりはあやふやになる。

映像や音がもてはやされる一因には、伝わっていそうで全然伝わっていないそうしたコミュニケーションのもどかしさもあるのだろう。しかし、コロナ禍の中でそのもどかしさは圧倒的な不安感と空虚感となり、その中にすっかり取り込まれてしまった。もはや簡単に出口は見出だせそうにもない。

とはいえ、問題の一端が「やっぱり」と「しっかり」の多用にあるのだとすれば、メディアに出る出ないにかかわりなく、まずは、自分の発話、発言について「やっぱり」「しっかり」を頻発しないよう心掛ける。コロナでなくても「やっぱり」と「しっかり」が醸し出す世界は、現実を置き去りにしてうわ滑っていくようなところがあるからだ。

こうしてメディアから発せられる「やっぱり」と「しっかり」のみならず、自分の「やっぱり」と「しっかり」をまずは意識化してみよう。コロナに隙間を「しっかり」埋められ重くのしかかる不安感・空虚感から抜け出す糸口は、おそらく自助・共助・公助にはない。まずは自立した言葉を使うこと。「やっぱり」「しっかり」を使わないで話してみようとするところから不安感・虚無感は案外緩んでいくのかもしれない。

 

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