イスラーム法新論 イード・ムバーラク! 節制生活お疲れ様でした2021年のラマダーンが最終日を迎えました。節制生活を送られた皆様、本当にお疲れ様でございました。今年は、コロナ禍で全世界規模でイードの礼拝も自宅にて行うことを余儀なくされております。自宅で行うイード礼拝そこで、自宅で... 2021.05.13 イスラーム法新論おしらせ現代社会論生き方を考える
おしらせ お詫び お詫び4月12日、ラマダーンのサウムの開始に関する投稿に、重大な誤りがございました。さまざまな検索の結果が「夕方から」となっていたところから、ラマダーン月の初日を実際より1日後ろにずれたままで投稿してしまっておりました。このような不正確な情... 2021.05.13 おしらせ
アラビア語論・言語論 ラマダーンの「サウム」を「斎戒」と訳すことについて ミツバツツジの花言葉:節制・抑制のきいた生活 少ない水の環境に耐え見事な花を咲かせることに由来するという ラマダーンは断食か? 今年のラマダーンも後半に入った。昨年に引き続きコロナ禍で信徒同士のイフタール(日没後の断食明けの食... 2021.05.01 アラビア語論・言語論イスラーム法新論現代社会論神と神々
おすすめのグッズ/ミール&プレイス 朗報:業務スーパー城山店でサウジ産UAEパッケージのナツメヤシを発見! ラマダーン直前に、嬉しすぎる発見です 業務スーパー城山店でサウジアラビア原産(包装はアラブ首長国連邦)のデーツが販売されていました。 小粒のホダリー種。昔懐かしいミルキーの味も感じられるあっさりした甘さで、いくつでも食べられ... 2021.04.13 おすすめのグッズ/ミール&プレイス
イスラーム法新論 2021年ラマダーンの開始日について(改訂版) 西暦2021年のラマダーンはいつから?一般に国際的に受け入れられているイスラーム暦によれば、4月13日(火)からです。手元のイスラミックファインダーのイスラーム暦カレンダーにおいても、ヒジュラ暦1442年のラマダーン月は、西暦2021年4月... 2021.04.13 イスラーム法新論バングラディシュ研究現代社会論生き方を考える
アラビア語論・言語論 呪いの言葉が聖典にあっても大丈夫な理由:『聖典クルアーン』「中傷者章」をめぐって が聖典にあっても大丈夫な理由:『聖典クルアーン』「中傷者章」をめぐって。「不定そのもの」がまさに不定に漂う中に縛られているような世界で呪いの言葉などかけられたのではたまらない。それに対してこちらは、確固とした存在(たとえそれがとらえられないような茫漠としたものであったとしても)に、テクストという形で「不定的なるもの」を極力許さない形で管理された世界での「ワイルン」。 つまり、究極にして唯一の主、慈悲深く慈愛あまねくアッラーからの注意喚起。まさにこれに優る注意喚起はない。 2021.04.05 アラビア語論・言語論聖典クルアーンから読む
イスラーム法新論 自由意思という檻:愚か者の愚かな自己弁護 「意思」「意志」「決心」「決意」は大概はうまくいかない。よいと思って就職した先の倒産。首切り。最高のコスパを見込んで買った商品がすぐに故障。無料期間が過ぎた途端の割高な料金の設定。寝に帰る場所としてパワーマンション購入のテレワーク。しばしば意思に裏切られる。人間の意思では到底及びもつかない、必然と存在が一体となっている世界を前提にする。 2021.04.05 イスラーム法新論現代社会論生き方を考える
おしらせ お詫び:1カ月も開いてしまいました 「アッサラームアクション」をお読みいただいている皆様皆様、お変わりございませんでしょうか。気が付いてみますと、最終の投稿公開からすでに1か月以上が経過しております。少しでも多くの方に読んでいただこうと、この1か月間、ワードプレスへの移行を試... 2021.04.05 おしらせ
بالعربية رجاء رجل أحمق من ملك سليمان (عليه السلام) يا ملك سليمان، ابن داؤود (عليهما السلام)، من فضلكم. لا تقولوا فقط: "لو دققت الأحمق بمدق في هاون مع السميذ، فلن تبرح... 2021.02.28 بالعربية徴(しるし)を読む生き方を考える
アラビア語論・言語論 スライマーン様へ愚者からのお願い:愚かさの檻 スライマーン様(彼の上に平安あれ)、お願いです。 「愚かな者をうすに入れ、 きねをもって、麦と共にこれをついても、 その愚かさは去ることがない」* なんて言わないでください。 それは、 「愚かな者」に対する呪いの言葉だからです。 「愚かな者」が自らを変えようとすることを否定し、 そして周りの人々の見る目と心を決めてしまいます。 ところで 「明日のことを誇ってはならない」** のですよね。 「一日のうちに何が起こるかを知ることができないから」** という理由でしたよね。 たしかに、愚かな者が、知識を愛し、知恵と教訓を大切にすると言っても、 明日のことはわかりません。 と同時に、 愚かな者が明日も愚かな者で居続けるかどうかもわからないのではないですか? お願いです。 愚かな者を呪って愚かさの檻に閉じ込めないでください。 「愚かな者よ、知恵を得よ」*** とだけ言ってください。 最後の預言者が亡くなってしまって久しい現在の人間たちの世界には、 完全な愚か者も、完全なさとき者も、完全な知恵者もいないのですから。 2021.02.28 アラビア語論・言語論徴(しるし)を読む生き方を考える