“人の語るすべてを心にとめてはならない”(旧約聖書「伝道の書」7:21) 徴(しるし)を読む空の青さの向こう側 Twitter Facebook はてブ Pocket LINE コピー 2021.11.14 2021.02.14 伝道の書は、言う。「空の空、すべては空」と。 「空気」に振り回され、「空気が読めない」と批判を繰り返す社会。 とはいえ、「空気」は、人が作り出したものに過ぎない。 互いに妬みあい、憎しみあうドロドロした気持ちが、「空気」を生み出し、勢いづける。 それにSNSが絡まると「空気」は巨大な雲に発達し、停滞し、とめどない石礫さえ降る。 空気を読まずに聖典を読めといった人がいた。 「空気」から自由なのが聖典。 澄み渡った「空」の彼方に直接つながっているのが聖典。 「空気」が吹き込まれている人の言葉ではない。 だから、「空気」に流されることのない世界を見据え、「聖典」を手掛かりにあるいは縛られずに、天に地に創造主を読む。 「空気」にもいろいろある。雰囲気、気分、空しさ、欲望。。フワフワしてたり、ザラザラしていたり、重かったり、ギラギラしていたり。。 ネットでは、時に、妬み、憎しみ、恨み、あからさまな誹謗中傷が「空気」の言葉として投げつけられ、息をさせないかのように淀み続ける。 「人の語るすべての事を心にとめてはならない」と「伝道の書」は言う(7:21)。 「他人からののろいを聞かないため」だ。 それは、「しばしば他人を呪った」のを知っている自分の心があることの証し。 呪いはまさに「空気」の産物。結局は自分に返ってくる。 人の言葉のいちいちを心にとめれば、自分の呪いに呪われるという戒めに読める。 いずれにしても、いちいち気にする必要はないということ。 空気に押しつぶされそうになっていたら、まずは空をみあげて青さを探そう! 共有:Twitterいいね:いいね 読み込み中…
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