マジックメタルの輝き:「かながわ移動観光大学inさがみはら」に参加して(草稿)

徴(しるし)を読む
MagicMetal 武田金型製作所

はじめに

相模原に「いいね」を集められるストーリーをつくろう。そんな呼びかけにまとめられる講演会だったのかと思う。

「素材はあるが商材がない。オリンピックは来るけれど、商品がない。関心はもってもらえても買い手がつかない。点はあるけれど線で結べない。お祭りはあるけれど、泊りがない」。相模原観光協会の北村美仁専務理事(前緑区長)の嘆きは深刻だった。

つまり、プレジャーフォレストはもちろん、宮ケ瀬も津久井湖園地もキラキラしているけれど、なかなか光が見えないのが相模原の現状だということなのであろう。



価値共創で「いいね」の連鎖を

魅力的なストーリーを作るときのキーワードは、価値共創であると本企画のコーディネータを務められた綛田はるみ先生(横浜商科大学商学部観光マネジメント学科教授)は「価値共創~来訪者との共同体験~」の中で言う。2020年のオリンピックロードレースがそのきっかけになりうるという分析は、相模原に対するエールと受け取った。

その価値共創が観光の場面で十分に作用するためには、「また来たい」と思える共感が広がることが必須になる。「また来たい!と思える価値ある経験が、ストーリー性のある経験によって醸成され、それが価値の共創につながり、「また来たい」と思えるようになり、実際にまた来ることになる」という好循環。つまり期待されているのは、「いいね」の連鎖である。

ところが、また来たいと思える共感が巻き付く軸になるストーリーが脆弱であったならば、そのサイクルは空回りを始める。軸がなければ、車輪は回らない。そこにあるのは、共創ではなく共喪だ。相模原が直面している課題だ。



ふわふわした「いいね」/しっかりした「いいね」

ここで「いいね」の正体を少しだけ考えておこう。Facebookの「いいね」は like の訳語だ。両者に微妙なニュアンスの違いがあることは、すでに指摘されているが、意味のずれもさることながら、「だれの」「いいね」なのかというところに「いいね」を集めるヒントがある。

このlike は、複数になることがあることからも解るように名詞として使われてはいるものの、もとは動詞。「だれが」を必要とする品詞だ。Facebookのlikeは、とりあえず「私が like」ということになる。「誰が」が分かっているという意味ではターゲットは絞りやすい。この点は、「だれが」のはっきりしない「ふわふわした」日本語の「いいね」との大きな違いといってよい。

アラビヤ語では「いいね」が『أعجبني A’jabanii』に当たるという紹介がある[1]が、これは興味深い。なぜならば、この「いいね」は「私をびっくりさせた」という意味になっているからだ。ここでも、ターゲットは「私」であるが、目的語になっているところからすれば、驚くのを待っていてくれているとみることもできる。なぜならば、感嘆や驚嘆の究極は、「奇跡」ということができようが、実際にアラビヤ語の「いいね」に当たるこの言葉と同源の派生語の中には、「奇跡」の意味も含まれている。奇跡的な出来事であるのなら待つのもよい。

また別の翻訳では、上の語の受身形を使った「私は驚かされた」がアラビヤ語の「いいね」だとされる[2]。こうしてみるとアラビヤ語の「いいね」には、実は、「いいね」を発信する「私」もいれば、「いいね」と驚いてくれる「私」もいるということ。しかも、そんな「私」が待っているのは「奇跡」的な驚嘆も感嘆も含むということだ。良いも(場合によっては悪いも)私もあなたもみんなもすべてを飲み込んで浮雲のように漂って、ちょっと風が吹けば吹き飛んでしまうような日本語的な「いいね」が捉えにくいのも理解できる。

「奇跡」のしかけ

さて、「いいね」とされるストーリーが欲しい相模原にとって、マジックメタルの話は、ものすごく大きなヒントになっていた。(株)MGNETの代表取締役武田修美氏という人選はファインプレーだったと思う。

たしかに日本的「いいね」は捉えにくいのかもしれない。しかしそれは「いいね」を捉えようとするからで、当たり前だけれど、後追いや二番煎じでは「いいね」の軸になるコンテンツにはなりえないということだ。

「マジックメタル」の凄さは、「奇跡」を見せてくれたことなのだと思う。

分厚い鉄の板から突如文字が浮かび上がる。金型の技術を知らない昔の人が見たら、間違いなく「奇跡」だと驚き、場合によっては、トーテムポール[3]がそうであったように神として崇めてしまったかもしれない。

しかし、金型の職人さんたちにとってこのマジックは、技術の粋であって、奇跡でも何でもない。しかし、これまで金型を知らなかった人々(武田氏はこれを「潜在的顧客」と呼ぶ)にとっては、ありえないことが目の前で起きるわけで、それは今もって奇跡といいうる事象なのだ。神がそこかしこにいる日本的文化の中では「神業」だ。

奇跡とは何かといえば、起こりえないこと、つまり通常の因果関係の枠からは想像できない事象・事態が生じることとまとめられるかもしれない。マジックメタルの場合は、その奇跡的な事象の裏に、研ぎ澄まされた職人の技があって、人間がやったことなのだよということが、実はストーリーにつながる。

「潜在的顧客」にとっては奇跡、専門的には「技術」。奇跡と技術をつないで、それを物語とともに紹介するというのが、武田氏の真骨頂だ。奇跡が人間業であると分かれば、それは恐怖や畏怖の対象であることをやめ、上質のエンターテインメントになる。なぜならば、「好み」を通り越してひろく楽しめるものになっているからだ。となれば、言語の違い、文化の違いを超えて「いいね」が集まる。価値の共創状態の見事なまでの実例なのだ。



奇跡探しは楽しみへ行く道

こうした奇跡に気づけたこと自体が天から降ってきた種類のことなのかもしれず、才能や経験そして環境に負うところが大きいのかもしれない。しかし、誰にだって「奇跡的」な出来事はある。筆者にとっては、今日の出来事が考えもつかなかった奇跡だ。こんなに楽しいお話が伺えるなど、予想などしていなかった。様々な皆様との出会いもあった。鳥居原ふれあいの館の体験コーナーで編んだ組みひもを長くキーホルダーにつけていた自分にとって、株式会社イノウエのブランドとしての成長を象徴する、瀟洒なノートブックと静電気除去ブレスレットのお土産は眩しくもあった。井上毅代表取締役社長は言う。「宮ケ瀬湖近くの奥地にもかかわらず新卒者採用に10人以上が集まる」と。

この奇跡的な出来事のおかげで、かながわの観光という場はかなり楽しいぞと感じることができたのだ。こうした奇跡、あるいは奇跡的な出来事の発見は、心を光らせてくれる。そんな時は笑顔で顔が光っているかもしれない。ついでに言っておけば、この光は、照らされた光ではなく、内面からの光。闇をも照らす種類の光だ。

私たちが潜在的顧客なのは、何も金型に対してだけではない。ぼーっと生きていたら、も地球に対しても、あるいは宇宙に対して、あるいは、この世やあの世に対しても、潜在的顧客に甘んじたまま。この世に対して「潜在的顧客」のままでは、この世を楽しむことはできない。潜在的顧客は「奇跡」を発見してようやく、楽しみへ行く道、つまり行楽への道が開けることができるのだ。

そして、世界が奇跡に満ちていることが分かれば、もっと世界を好きになる。世界を好きになれれば、生きることが楽しくなる。楽しくなればもっと楽に生きられる。まさに、「「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」(『論語』(岩波文庫84頁)にも通じる。

地球でもよいし、地域でもよい。まずは、自分の周りが奇跡に満ちていることをしっかりと押さえる。地球と地域で、人生という旅をさせてもらっている客が、奇跡や奇跡的な出来事をストーリーとして紡ぐことによって、潜在的顧客から顕在的顧客になる。

そうすれば、「相模原の観光振興と課題」の中で羽田耕治先生(横浜商科大学名誉教授)が指摘した「SDGsに資する観光」の真価が発揮され、職場旅行3.0もよりアクティブに様相を変えることが予想される。

また、「産地ブランドの収益化を考える:PLCを超えた存在になるには」の中で、竹田育広先生(商学部観光マネジメント学科教授)が、収益化モデルを分かりやすく「売り手良し買い手良し地域好し」とした「三方良し」も実現され、数多のフィールドワーク[4]の成果から、「まずは自分の店に人を呼ぶことを考える」「部分開発という小さな流れを作る」「ラストワンマイルの移動をさせる(せっかくのついで=せっかく来たのだからついでに行こうという気になる場所を作る)」というプレイスブランディングのスタートアップとの親和性も高いとみた。

そして、そうした顧客に支えられていれば、観光も人生も、ふわふわした「いいね」に振り回されて、結局大きなお金の言いなりになってしまうことも、あるいは、PLC(=プロダクトライフサイクル)が必然的に雪崩れ込む衰退期に対しても、フランケンシュタイン的な墓穴を上手にかわして、持続的発展の目標にも適う。いずれにしても、一人ひとりが主体的に動き出すことなのだ。

つながる光

相模原の観光。各種素材は揃っていても、それらが一向につながらないということは、つながるための伸びしろが無限大にあるということだ。つまり材料の宝庫。「宇宙も含む大きな世界」と「私」をつなぐ「奇跡」に気づき、ストーリーを紡ぐ格好の舞台である。誰かの大きな「いいね」のストーリーを待つのではなく、自分から小さな奇跡探しを行なう。LEDだけが光ではない。一人ひとりの心がほんのりとでも光る奇跡をしっかりと探していく。一緒にならできる誰かと探してみるのもよい。点と点をつなぐのは、道路や車や自転車、あるいはWi-Fiや光回線だけではない。相模原の観光は、一人ひとりのささやかではあってもしっかりとした奇跡発見の光に照らされたストーリーによる価値の共創を通じて、つながれるのを待っているように思われる。

なお、この小さな奇跡探しは、筆者が教員としてかかわる相模原ビジネス専門学校観光学科の学びの柱にしようと考えている。相模原の観光にも、私たちの試みにも光が射したように感じた講演会であった。

開催にご尽力された、先生方、関係者の皆々様に改めて心より感謝申し上げます。

2020年2月2日 




[1] 「Facebook で使用されている言語と各言語における「like」ボタン表記」http://citrusjapan.co.jp/wp/wp-content/uploads/2015/01/img_22_02.jpg


[2] ちなみに、ウェブ上のアラビヤ語英語辞典の中には、受動態で「 أُعْجِبَ بِـ

 私は~に驚かされた」をlikeの訳として掲載しているものもある。

https://en.bab.la/dictionary/english-arabic/like 

いずれにしても、元の動詞は、أعجب であり、名詞としては、驚嘆・感嘆の意。同じ語根からなる言葉の中に「奇跡」を示す語も存在する。


[3] トーテムポールは、かつて北米大陸の原住民が森の中を歩いているときに、踏みつけると立ち上がる木に遭遇したのが始まりとされる。てこの原理で起き上がったものなのだが、そのことが分からなかった当時に、その木が神聖化されたのだという。




[4] 当日、紹介された訪問先(一部)は次の通り。長浜:黒壁ブランド、川越:氷川神社、かき氷、通りゃんせ神社に人影なし、小布施:栗、北斎、小布施堂、一族で企業も行政も、ミルグリーン、近江八幡:バームクーヘン、たねや、ラコリーナ、魚津:StarUozu、ミラタンAKB Candy、米騒動もネタ、日野:古民家カフェ、茂原:スタミナ系ラーメン、カフェ(移住マダムランチ1500円)、阿賀野:ゆだからサーモン・・・。

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