コロナにも「正しさ」にも振り回されない:NHK総合クローズアップ現代(1月13日放送)をみて

 緊急事態ではあるけれど、緊急事態にかこつけて誰にとって、何にとっての「正しさ」なのかを提示しないで「正しいデータの活用」などという言葉が振り回されはしなかったであろうか。聞き違いならばよいのだけれど、ちょっと傲りと怖さを感じた。

 そもそも事実そのものとしての正しさなど存在しない。事実そのものがどうしても文脈に依存するし、その事実の読み方、感じ方も実は千差万別なのだから、ビッグデータのデータであったとしても、データ収集者の意図(あるいは恣意性)から逃れることはできない。要は、ちょっと乱暴だけれど、データに正しさなどないのだ。

 コロナに限って言っても、コロナとの共存を前提とするのか、コロナの撲滅を前提とするのか、それも、全世界でそうするのか、日本だけでそうするのかでも「正しさ」の基準はまったく異なってくる。

 もちろん、データの収集解析を通じてこの事態を政府や世界と手を携えて収集・収束へ向けた関係者の奮闘努力に対しては、最大限の敬意と賛辞を送りたい。

 そうした尽力にも見合う説得力のある判断と説明が実際に行われているかどうかは別として、政治家はその時々で「正しい」判断を期待される。これに対して、とりわけ私のような人文社会寄りの総合系の学者、研究者は、「正しさ」は相対的なものでしかないことをたとえ「石ころだらけの情報」の一つにさえなっていないとしても、発信し続けるべきなのであろうと考えた。

 歴史をみるまでもなく、みんなが一致して正しいというくらい破滅的なことはない。また自分を振り返ってみても「正しい」と思ったことはたいてい間違っている。聖典の「正しさ」の危うさに気が付けたこともあるからなおさらなのかもしれないが、「正しさ」には、法律があるからというレベルとは別に、個別の事情も含めた徹底的な検証と、人の数だけ「正義」があるという視点を欠くことができない。

 とはいえ、この事態である。せめて「正しい」とされる情報に向き合う際に鵜呑みにしない余裕を持とう。グーグル検索のトップに出てきたとしても、誰にとって、何にとって「正しい」情報なのかはわからないのだし、ユバル・ノア・ハラリが指摘するように、自分の思考自体がすでにハッキングされている可能性もあるのだから。

 (となると探究すべきは、ハッキングを行なっている主体。それが特定の人なのか、組織なのか、果てまた、得体も行方も知れない目的意識のようなものなのか、そしてその主体にとっての「正しさ」とは。。そんな風に考えてしまうこと自体が、陰謀説に乗せられているということなのか。このブログを通じて皆様からのお知恵をお借りしながら考えていきたい)

 

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