笑いと祈りの意外な関係:「生きてるだけでまるもうけ」(明石家さんま)と聖典クルアーン「潤沢章」

徴(しるし)を読む
深刻ぶるのはやめよう

「ハイル الخير」で乗り切れないときには?

しかしながら、すべての人々が、すべてをハイルで乗り切ることができるとも思えない。クルアーンの注釈等で、「ハイル」とは「財」「富」の意味をも持つとの解説を知ったのであればなおさらだ。そんな潤沢には縁がない、そんな潤沢はどこにあるのかと。潤沢に気づけないとき、笑いが必要になる。悩みを、不安を笑い飛ばすための笑い、自分の置かれた状況を、余裕を持って受け入れるための微笑み。誰かを蔑み、排除して、あるいは弱い者いじめや下ネタで笑うことではない。すべてをハイルに変えてくれるような笑い。

笑うのでなければ、祈るのがよい、話で笑わせるのでなければ、食べ物で笑顔にするのがよい。ありえない話で人は笑い、過去を笑い飛ばし、未来を切り拓く。それは奇跡を信じること。ありえないことが起きると信じること。そこでは祈りが欠かせない。

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