生き方を考える

現代社会論

ロシア人「千年の奴隷」説の衝撃

国のために命を捧げるのは当然という物言いは一見否定のしようがない。しかし、国家も国家権力も資本主義も、従うべき主ではない。結局、何かに所有された者が、神に成り代わって、人々の人生と生活をほしいままにしている。神に成り代わっているかのようのものが、実は日常を取り囲んでいる。
`おしらせ

イード、おめでとうございます 2022年(ヒジュラ暦1443年)

思い通りにはならない世の中。天気も思い通りにも予測通りにもならない。それに目を囚われて、天気の後ろに控える存在のことは忘れてしまう。
イスラーム法新論

自宅で行うイード礼拝

まん延防止解除後も感染拡大続く中、自宅で一人あるいは家族と行うイード礼拝。これならば、礼拝の実行と感染リスクの回避が両立する。
イスラーム法新論

ラマダーンの断食明けのザカート(ザカートゥルフィトル)について

ラマダーンの斎戒明けのザカート。斎戒者が(ラマダーン中の)戯言や猥雑から身を浄め、困窮者たちに対し食べ物を施すため。
イスラーム法新論

土に還ることの難しさ:火葬・土葬・Co2

土に還る 難しさ 火葬・土葬・Co2 環境負荷 ホルムアルデヒド 埋葬 イスラム教 米国 日本 インド 地獄の熱さ プラズマ 宇宙 
現代社会論

坂口安吾「悪妻論」の愛:強烈な反戦論

坂口安吾「悪妻論」から「愛」に関する個人的な抜粋。強烈な反戦論。夫婦関係に平安なんて|夫婦は苦しめ|平安よりも苦痛|愛情よりも憎しみ|呪い|むしろ対立|姦淫|ゼウス
アラビア語論・言語論

「誰といたの?」と聞かれて「友だちと一緒だった」を何という言うか

菅田将暉×小松奈菜主演の「糸」をみて、中島みゆきの「糸」の歌詞を読み、さらに藤井風の「きらり」の世界観を加えてみる。そこには、「誰といたの」は気にせずに、「生きていた」こと喜んで、ミサンガ切れても、切れることない糸信じ、苦境も「さらり」とかわしてく、大きな愛でかわしてくという今どきの日本語が織りなす世界が見えてくる。
90歳のキモチ

うちには神さまがたくさんいる:90歳のキモチ

神と呼ばれる存在が、一つなのかたくさんなのか。イスラーム教徒が、自分たちを他から差別化するときの最終的な基準である。 さて、季節を問わず、90歳のおばあちゃんのところには、知り合いや近所の人たちが、自分の家で穫れた農作物を届けてくれる...
アラビア語論・言語論

やり直しを認めてくれる希望の聖句(『聖典クルアーン』マルヤム章59-60)

《それなのにかれらの後継者が礼拝を怠り、私欲に耽ったので、やがて破滅に当面することになるであろう。だが悔悟して信仰し、善行に勤しむ者は別である。これらの者は楽園に入り、少しも不当な扱いを受けることはないであろう》(マルヤム章59-60節、1...
アラビア語論・言語論

怒りを鎮める心の体操としての礼拝

怒った人を落ち着かせるには 怒りがどうにも収まらないという悩みに苛まれてはいないだろうか。横暴な経営者に役立たずのレッテルを貼られ忖度と同調圧力も手伝って退職を余儀なくされ、やり場のない怒りが自分の中で拡大し続ける情念の渦巻として暴れまわ...
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