呪いの言葉が聖典にあっても大丈夫な理由:『聖典クルアーン』「中傷者章」をめぐって
が聖典にあっても大丈夫な理由:『聖典クルアーン』「中傷者章」をめぐって。「不定そのもの」がまさに不定に漂う中に縛られているような世界で呪いの言葉などかけられたのではたまらない。それに対してこちらは、確固とした存在(たとえそれがとらえられないような茫漠としたものであったとしても)に、テクストという形で「不定的なるもの」を極力許さない形で管理された世界での「ワイルン」。 つまり、究極にして唯一の主、慈悲深く慈愛あまねくアッラーからの注意喚起。まさにこれに優る注意喚起はない。